他人の視線、他人の振る舞い
こんばんは、snpです。
他人から受ける視線や他人の行動の振る舞いを気にしていては、自分が失われてしまう気に陥ってしまいます。
今回は、自分の意志をしっかりと保つように心がけていることについて思考してみます。
他人の視線が気になる?
いいえ、わたしは気にならない。
気にしたところで、他人は自分ではないので自分が自分を見るわけでもないので自分の好きに生きればよい。
他人の視線を気になる時点で自分の意志を貫く心にブレがあると言うことを暗に認めしているとも考えられる。
では、他人の振る舞いは?
他人がどう振る舞おうが、それこそ他人の話であり、一時不快になるぐらいでどうでもいい。
そこに現れた時点で、ラッキーとなる。
なぜなら、自分にはなかったこと(自分の中で考えられなかったこと)が目の前で繰り広げられることは、収穫する最大のチャンス到来とばかりに掴み取るべきタイミングである。
ウザいからとか、で避けるのもありだが、ウザいとして処理してしまった瞬間から興味からの思考を経由して不足分を補おうとする回路を強制的に遮断することに自ら行っていると言える。
目の前の事象に目を背くなかれ
これほどのチャンスを毎回毎回収穫し続けていれば、自分の思考のリンクの組み方もより複雑になり密度もより増すのではないだろうか。
興味から起きる感覚の受け取りも非常に有効な思考の整理と授受が自分の視野を広げることになる。
歩むべき道幅が拡張されることは、実感されるだろう。
他人から受ける影響力は凄まじい威力を持つと思います。それを避けるのではなく、もらう、受け取る、ラッキーと思う。それだけでも視野の拡充は可能だと思います。
ツイていると思うだけでも違います。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうござます。これからもよろしくお願いします。