相互の感謝
こんばんは、snpです。
何か特別なこと、と言うか当たり前の出来事をしても感謝をしない人いると思います。そんな人にやってもらっても感謝の念が薄くなってしまうのも仕方がないのかなって思います。
今回はいつも感謝してない人について思考してみようと思います。
こっちは普通でも
なんら問題なく、手続きやら連絡をやりとりして問題の解決に向き合っているならまず、普通に生活は可能だと思う。
わたしは面倒臭い事はイヤだから、どうせやってくれるからっと言って人任せにぶん投げてしまう人も世の中には沢山いる。
仕方がなく、やらなくては事が進まないから、どうせやらなねばならないことだが、結局自分がやる羽目になることはよくある。
しかも、当然のように感謝はされない。
あなたがやったことは特別なの?
少し、ほんの少しだけやってくれたことに対して素っ気ない態度をとろうものならば、それって変じゃない?感謝しないのかよ!って散々な目に遭う。ありがとうと後出しで言ったところで気持ちがこもっていないとか、本気で思っていないだとか…
ちょっと待て、わたしはあなたのためにどれだけの労力と時間を費やしていると思っているか考えたことあるのですか?って言ったところで、火に油を注ぐだけだ。
ここはこっちが折れておく
勝ち負けなんて関係ない。とりあえずこの場を終わらせる為には逃げるが一番いい。やはり逃げるは恥だが役に立つ状態だ。
通常状態で感謝の念を持たなくて、当たり前にやってくれているから、当然ちゃ当然と言う状態は、結局あなたの心の有り様なだけだ。
あなたの心はわたしには変えられない。わたしの心はわたしにしか変えられない。つまりあなたの心を変えるにはわたしの心をまず変えねばならぬ。
逃げて良い
戦う必要はない。戦いを避けることが大切だ。
戦いのノウハウである戦術よりか、戦わない為の能力を考える戦略を身に付けることが重要だと感じる。
相互間おける感謝のやりとりが、よい潤滑剤となりお互いの心の隙間によい隔たりをつくり、その隔たりがお互いの心を通じて自分の心を読むことができるものではないのかと今回の件で少し感じました。
他人に任せることは特別なことではなくて、できて当然は通用しません。やるって言ったのだからちゃんとやってよね!も通用しません。
もらったら感謝。あげたら感謝。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうござます。これからもよろしくお願いします。