100人100通り
こんばんは、snpです。
職場や家庭環境、ありとあらゆるコミュニティで行われるであろう、意思疎通。そして対人関係の悩み。皆さんはどのような考えで過ごしていますか。今回はひとりひとつぐらいは意見を持っているんだ、と感じたこと。
あいつはこんなヤツだ
よく話題としてあげるのは、誰それさんのこと。いわゆる陰口悪口の類がよく盛り上がる。酒の席などでは、タガが緩んでついペラペラと饒舌にディスる人はいるものだ。(ちなみにわたしは今日で断酒278日目、飲み会にたまに出るが水かお茶を摂取、普通に美味い!)
通常の職場内の会話でも仕事以外の会話の内容はなんだか現状打破や前に進む考えより、現状維持、留まりたいと言う印象を受ける。
ただこれが自分の解釈
その会話が楽しくて楽しくてワクワクが止まらない、やめられないと言う側面も持ち合わせてはいる。解釈次第だ。
朝、自宅の扉を開けて外出する際に見える範囲にカラスが二羽とまっていた。
- ある人はこう思うだろう「朝から二羽のカラスがいた、二匹が夫婦ならオシドリより仲良いな、朝からいいもの見せてもらったよ!」
- ある人なら、「嫌だなぁカラスがいるよ、二羽で作戦練ってゴミ漁るから嫌なのよ、早く駆除して!」
- またある人は、「あれ?カラスがとまっている。あ、そうか今日はゴミの収集日か。忘れていた!気づかさせてもらってありがとう」
と、カラスを見たと言うだけで、様々な側面を持ち合わせているが、
ポジティブ的捕捉をするのか、ネガテイブ的捕捉をするのかによってその日のワクワク感が違ってくる。「朝、二羽のカラスを見た」ただそれだけで100人100通りの解釈を展開することができると考えられる。
ポジティブ的捕捉でよくね?
なぜわざわざネガテイブ的な解釈で物事を捕捉し思考を巡らす必要があるのだろうか、常にいい感じ、絶好調!の方が誰しもいいに決まっている。
自らネガテイブの方向に進みたいと思うヤツはいるのだろうか?とさえ思える。
自らの意思の選択によりポジティブに考えることが人間にはできる。
朝、扉を開けたら二羽のカラスがいる現実は自分でどうすることもできない。しかし、その現実のとらえ方を変化させられるのはそれに直面した自分だけである。
陰口叩く前に自分を見よう
他人を変えることは不可能だ。だが自分の考え方を変えることはいくらでも可能だ。
嫌いな上司の陰口をする前に、自分の現実からポジティブな解釈ができないか色々な側面からサーチすることをまずやるべきだと最近よく思う。
二羽のカラスが朝いたことに関しては、単なる偶然でしたが、人それぞれ違った解釈をするのだよなーって思いました。解釈は自分で作れるものなのだから、ポジティブにこのカラスの出来事をとらえる為には…そう思考を巡らさせる行為はわたしにとってワクワクすることだなって感じました。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。