椿が咲いている
こんばんは、snpです。
最近は寒気の流入で、師走らしい季節になってきました。夏の暑さもどこへやらといった感じです。
季節の移ろいは早いもので、ハロウィンだと騒いでいたらもうクリスマスだのお正月だのと、なにかと忙しい年末年始となりそうです。
さて、今回は街路樹として植えられている、椿が見頃となっていた。ということに焦点を当てて思考したいと思います。
イライラしてたら見えないもの
職場や家庭環境等で何かと物思いに耽って気が散ってしまっていることはないだろうか、はっきり言ってわたしは最近はそんな感じで過ごしていたと実感している。
視界が広がると見えてくる
意外にも人間が抱えている悩みなんてくだらないものしかない。視野が狭窄していたら見えているものも脳に投影されることなく透明な物質として情報処理されるのだと気づいた。
この気づきがあるだけで、ググッと視野が広がり明るさを捉えているなと思う。
街路樹として植えられている花なんぞ誰が見るのか。見えないことは視野が狭い、すなわちゆとりある豊かさに欠けている生活実体ではないのかと思う。
椿が綺麗に咲いている
花鳥風月を愛でるなど、古風なことやってるんじゃねーよ、そんな悠長な事やってられない。
とそれはそれは。お忙しいなか、その多忙さにしか生きている実感を抱くことができないなんて哀れだこと。
生きることの本来の意味を考えもせずに、仕事に追われて毎日を過ごす、なんと時間の無駄を感じるか。
フラフラになって帰宅して、エネルギーチャージして朝嫌だ嫌だと感じて出社、会社では社畜的な扱いで来る日も来る日も仕事仕事仕事。何の為の人生か。
花鳥風月を愛でることもできない暮らしなど、豊かさを微塵も感じられない。
今日の天気気温、空気の匂いは…
朝起きて、外出したら、その日の天候を感じるようになった。暑い日もあれば寒い日もある。雨が降る日もあれば、風の強い日もある。
1日1日と同じ日がないのだから、感じることもけっして同じことはない。
その日のその天候を大切にしたい。
綺麗な花が咲いていたら、綺麗だなと素直に感じられなければ、楽しくないだろ。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。