結局全て抱えろ
こんばんは、snpです。
何事も繋がりがあると以前ブログに掲載しました。そこに繋がっていたのかと分かるのは後から、未来が現在に至った時にようやく分かること。
今回は、自分の行いは果たしてどこに繋がっているのかを思考しようと思います。
今は過去の未来
何かの楽曲のタイトルのようだが、理にかなっている言葉だ。
仕事上や家庭上で理不尽な事は山ほど起こるだろう。しかしそれすらも理にかなった出来事であると思う。
このタイミングでこれが起こると言うことは、その前段階から布石が引かれていたに違いない。そのヒントをいち早く見つけることに集中したい。
お前それ必要?
職場内でよく思うことだ。
不要なことの繰り返しで給料をもらう、マジ笑える。
はっきり言って会社の大多数が惰性だと思う。コピペの応酬の繰り返し、そんなことでは何も生み出せはしない。
職域の人員の顔触れを見てほしい。ギラギラした眼付きのヤツはいるだろうか?仕事をよこせと言うヤツはいるだろうか?
早く帰りたい、休みたい、会社行きたくない。
休めばいい、帰ればいい、会社行かなくていい。ただぶら下がっているだけだろ?
自分自身を自分で持ち上げろ
社内の人間など揚げ足をとることばかりに気を取られてる。足の引っ張り合いだ。完全にアホの遊びにしか思えなくなる。
他部署の目上の方がたまにくるのだが、その人すらも生きる方向性が見えていないのかなーふと思うようになる。
レールから外れれない
餌を与えられた豚に過ぎない。ほれほれと毎月餌を食べて、自分の労働力と言う身体的自由を投げ売り自ら拘束されている。
それでいて、会社行きたくないとほざく。もうコントとしか思えない、ワラ。
レールから外れようともしない鬼畜振り。
自分の人生なのですから、全て抱えて行きてもいいのではないでしょうか。起こること全て自分の責任だと。過去の小さなことが今結果として現れただけだと。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。