このままじゃいけない、オーナーになれ

日常にある事柄から思考するブログ

針路を誤るな、舵は自分で取れ

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こんばんは、snpです。

 

ある程度年齢を重ねていく毎に、昔思い描いていたあの年齢ならこんな感じだ、みたいなことを思う時間がたまにある。

今回は舵取りに関して、思うこと。

 

その針路はよいか?

大方、何かを始める際にとりあえず目標を立てましょう、その目標を小分け細分化して一歩一歩進みましょう。と良く言われる。

果たして、その最終目標地点は過去の自分が定めた地点であるのでその都度に目標の見直しは必要だと思う。

目標に対してのルート取りこそが、自分のオリジナルのルートになると考えている。誰にも真似できないルート取りができれば、そのルートは輝きだすのではないかと思う。

 

登山で例えると…

よく人生は登山のようなものだと、言われるのだが、実際わたしは趣味で登山をやっている。

やっている身からしたら、一つの山でも登山道は沢山あるし、優しい道、険しい道、人気のある道、藪だらけの道、そして季節や気象条件によっても同じルートでも難易度は変わってくる。

しかも、同じルートでも経験者は余裕だが、初心者はツラいみたいなルートは無数にある。

 

何が言いたいのかと言うと、目標(山頂に立つ)に対してのアプローチの方法は人それぞれである。たとえ隣の人が同じ目標を定めていても、ルート取りによってツラくなるか楽しくなるかは変わってくる。

そして、結局自分の足で歩くしか山頂に立つすべがない。(ヘリで運ばれるのは登山と言わない。)

 

列車はレールの上を走るのみ

ルートを事前に敷かれていたなら、かなり楽して目標に到達できるが、そのルートから外れることは許さない。

飛行機にはレールはない。好きな場所へ行くことさえ可能だ。(実際には航空路はあるが)

 

最終目標地点まで自分の好きなルートで進むことに楽しみが生まれるのだと思う。

自分自身の舵を自分で操縦することが人生を生きることだと思っているのだが、親の目や周囲の目に流されて自分のオリジナルルートから外れていることも多々ある。

自分の思い描く針路設定はかなり自由で、そのルート取りに対しての自分自身の舵取りも自由である。(あえて積乱雲に突っ込むとか)

 

人生で何かしら相談することは多くありますが、最終決定は誰がやりますか。自分で下すしか方法はないと思います。

自分のオリジナルのルートを自分の意思で舵を切って進むことにしています。

 

なんだか、まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んで頂きましてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。