ネット検索は色がない
こんばんは、snpです。
色は色でも色彩という意味ではなく、自分のオリジナルな考えという色の意味です。定型文やコピペの文章がすぐに手に入る時代。
なんだか、文章を考えて書く、読み手を想像して書くの様なことが薄くなり始まっている気分です。
今回は、ネット検索ばかりの文章の意味合いを思考したいと思います。
考える力が減る
まず、とりあえず、Google先生の知恵を借りるべく手のひらの端末の中にある小窓に知りたいキーワードを入力する。
テンプレートの文章は相当数ヒットする。その中から自分の色に似たモノを探す。
そう、探すことが考える力を奪っているのではないかと思う。
文章自体の構成は、小学校から学生時代に繰り返し繰り返し授業で教わった内容なので自然と文章の構成はできるはずだ。
コピペでokと言う考え
初めから原稿を考えるのでもなく、真っ先にググる人も少なくないだろう。ネットで転がっている似たような境遇の人の原稿をコピペ、季語と名称だけいじって出来上がり。
なんとも心の無い原稿だ。
たぶんそんな原稿のスピーチなど聞く方の心には届かずただなんか喋っている。と思うし、話す方も紙書かれた内容を告知しているだけの機械的な話し方になる。そしてその両者ともに記憶には微塵も残らない。
オリジナルを先に考えてから
ググる前にコンセプトを思考するのことが先だと考える。何ごともまずは自分がどのように発信をしたいのか、そしてその言葉を誰にどのように共有したいのかを考えると自ずと文体は決まってくるのではないだろうか。
スピーチで誰の為に?内容は?なぜわたしが選ばれたのか?などそんなことネットには一切書かれていないのだから、まずはオリジナルを先に考えるべきである。
そのあと、味付けのバリエーションをGoogle先生に尋ねたりする過程が生まれるのだと思う。
いくらなんでも、オールコピペの人はいないとは思いますが、やはり初めっから検索窓にソッコー打ち込むよりまずは考えたいですね。
その考える行為こそ人が人らしい行動を取っていると思います。
誰からにモノを伝えることは、簡単なことではありません。相当なエネルギーと時間を費やします。その分想いは凝縮されてくるのではないでしょうか。受け取った人もそのエネルギーを変換できれば嬉しくありませんか?
最後まで読んで頂きまして、ありがとうござます。これからもよろしくお願いします。