自然に先出し
こんばんは、snpです。
またしても、台風が来て交通の乱れが予見されています。
今回は、教えてほしいと言われる前にその人が願う欲求以上のことを先にやってあげたらどうなるか?を思考してみます。(有難迷惑という言葉もありますが…)
さりげなく出す
相手の喜びそうなことは、自分にとっても嬉しいものだ。プレゼントをサプライズでもらった時のことを思い出してもらえればその通りだ。
毎度毎度サプライズ演出ばかりできないので、そこはさりげなく、自分がされて快となる感情を相手にも与えられるように心がけておくこと。
もらった相手はなんで?と思うけど嬉しいはずだ、きっと。自分がされて嬉しいのだから。
とりあえず出す
何はともあれ、先行的に出すことを心がけたい。それは金銭的な話もそうだが、心配りも率先して行うことは有効的である。
特段、これは徳を積む為にやっていることだ、なんて思わなくなり始めてようやく自然系な形で出し始められると言うことか。
出さないことは、回りに回って結局、自分は出されなくても(与えられなくても)いいと、誇示しているとも取ることも可能だ。
「いらないのですね、この富を」
あなたに出すはわたしに出す
結果的に出したもの自分に回ってくるならば、出しときゃよくね?ってことだと思う。
自分の欲しいものがあるならば、自分のなりたいものがあるならば、金銭も時間も心配りも愛情もとりあえず先出しをしてしまえば、どうせ返ってくる。
どんな形かは分からないが、あげたらあげた本人から返ってくることもあるし、まあほとんどの場合は返ってこない。しかし、気を抜いてた時にあの時にああしたことはここに繋がっていたのかよ。って思うことは何度でもある。
自分にされて嬉しいこと、良いことは率先してやりたいものだ。時間や空間を超えてワープ的な何か分からないものでこの事象は繋がっているのだと少し思う。
あっと驚く様なサプライズ演出はたまにでいいと思います。しかし、毎日の日常で気付かれなくてもいいから、サプライズじゃなくていいから、善意ある行為を自然的に、無意識的に、呼吸をするが如く、これが今の目標になりつつあります。
意識しているうちは、まだまだで、もう無意識に、そこはもう考えなくても、と言ったレベルは素敵だなあと思います。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。