当たり前は難しい
こんばんは、snpです。
普段何気無く行っている動作、朝起きること、食べること、歩くこと、自転車や車を運転すること、お風呂に入ること。当たり前にやっている動作について、思考したいと思います。
当たり前はない
なんでできないの?普通の人ならできるはずだ!
こんなことを普段から繰り返して言っているヤツとは離れた方がいい、そいつは周りを知らない愚かな人なのだと思う方がいい。
自分ができて、相手ができないからと言って憤る人にたまに出会う。その者は全知全能たる者なのか?自分ができて当たり前で、自分ができるからお前も同じようにやれって…そんなこと強要するなんて、なんと哀れなヤツなのだとつくづく思う。
お前ができるならお前がやれ
このくらい勇ましく思っているほうが心にゆとりが生まれて気分が楽になる。
誰しもできるわけじゃない
日本の神さまもそうだが、西洋の神さまも司る(得意なジャンルがある)内容もまちまちだ。これは得意な分野で伸びて行けってことなんだと思うし、ましてや神さまも得意・不得意もあるってことと思う。
誰しも何でもできるわけじゃないからからこそ、商が発展したのだから(分担分業体制)。
同じようになんでできないのよ!
答えは簡単で、わたしはあなたではないから。
人に自分の胸中の要求をやらせることなど、不可能である。できないことを逆に当たり前だと思えばあまり難しいことではない。
当たり前の基準を変えろ
結局、人はなんでもできない。あることならできる。基準を変革すればいいのだ。
当たり前とは一体誰基準の話なのだと前々から気になっていた。
先日、ツイッターのタイムラインにこのような記事が流れてきた。
障害者とか言う発想がヤバイってことだ。
下手したら、下手しなくても、俺が大卒だからとか、男だからとか、人間とかホモ・サピエンスだからとかの基準も捨てなきゃいけない。
ある意味深くて、思考の整理が上手くまとまらない文章ではあったが、言わんとすることはなんだか伝わった気もした。
当たり前のことを当たり前にやれ。これほど自分目線の位置からの発言は無いように聞こえる。
当たり前のことは難しい人も大勢いる。できる人はできない人に強制させるのではなく自発的に取り組めるように檄を飛ばすように、勇気付けることが使命の様に感じる。
わたしの考えが未熟なことは承知の上で、当たり前について思考してみました。
当たり前のことって難しいことばかりなのですね。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。