ひらめきと発想
こんばんは、snpです。
大胆的な、惰性的な生活を送っていませんか?仕事においても目の前のタスクをこなすような勤務をして帰るのルーティン。
ひらめきと発想を加えるだけで視野が変わるように感じているこの頃です。
must beにとらわれるな
どうも職場の人はやらなければならないと勝手に思い込んでいる人が多い。やらなければならないことは入社する前から求人票に書いてあることなので分かるはずだ。
それってやることなの?って思うこともしばしばある。その内容は必要な業務内容なのかとも思う。ぶっちゃけ今自分がやらなくてもいいとさえ思う。
やってくれてると思う
チーム全ての業務を1日の勤務時間内にひとりではこなすことは不可能だ。なので自分以外の人が自分が本来やるはずの業務を自分の分身でやってくれてると思うとかなり気がラクにになる。
そして、心の中で本来やるはずだったのにやってくれてありがとうって思えるのだ。
側面を変えるだけでモノのとらえ方が180度変わる。
人に手伝ってもらってばかりだから、ダメだ。とか、自分が休暇でいないと迷惑をかける。とか、そんなことあまり気にすることはなく、一言ありがとうって言えればいいのだと感じている。
ひらめきをするには
しなければ、使わなければ、などの固定的な観測しかできなければ、ある一方向からの視点のみで見てしまう。この見方の変化はなかなかいつも行っている業務の中では生まれにくいものではある。
じゃあどうすれば、と考えたとき思い当たったことが完成形から逆再生してみたらどうなのか?といったプロセスも面白い。
未完から始まること、完成から戻ること、この狭間を変えることがひらめきなのかなと思う。
みんなこうだから、先輩はこうしたから、と言う考え方は視野が極端に狭い、そして選択肢がひとつもしくは少数しかない。
このような思考を繰り返していては、ひらめきと発想は生まれにくい。
つまり成れないってこと。
自分の脳で解析することを繰り返すことで、あの事象とこの事象が全然関係無いことなのに、リンクしてポンと産み出されることがここ最近よくあります。別にその発想が具現化されれば良いと思うのだけれども、なかなか現実には結びつかないものです。
しかし、発想を連続してアウトプットして蓄積することは自分の引き出しが多くなりあれとこれを組み合わせて的なカスタムパーツが多くなるごとに繋がると思います。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。