ありがとうは最強
こんばんは、snpです。
未曾有の連続的な天災、被災された各地の方に心より御見舞い申し上げます。
日頃から、ありがとうと言えるチャンスを逃すまいと目を光らせている生活を送っています。気にしなければスルーされがちなこの言葉。たかが言葉で口はから発せられるだけの音声なのにかなり最強だと思っています。
今日はありがとうと言えるチャンスはどんな時かを思考しようと思います。
このチャンス逃すな
見逃しやすい。ありがとうと言えるチャンスはものすごく沢山転がってはいるものの、そのほとんどはスルーされている(している)と思う。心ではありがたいと思っていながら、発言しないと言うこともある。
声に出すことさえもしないことさえもあるし、思わないことさえもある。
声に出すことができない時もある。その時はまず想えばいい。想うことでとりあえずはその場においてチャンスの保留ができると思う。
自分も言われる立場になって
相手の気持ちになって考えてみない、やられたらイヤでしょ、だったらやっちゃいけない。的な話はよくある。それじゃ、感謝の場合も自分が言われる立場になって考えたらこの場合ってありがとうって言われてもいいんじゃないか?って思う時が出て来る。
そう、その場合である。それこそ自分が相手にありがとうと言うべきタイミングを自分自身が望んでいるタイミングだと言う事をなんでか自分が一番わかっている。
自分に感謝されたいことは、相手も基本的に同じように感謝されたいはずである。
あの人はありがとうを言わない
身近にそんな人いるのではないだろか?ありがとうなんて(なんてと言うほど軽くは無いが)、音として空間を振動して伝搬する音声に過ぎない。しかも無料タダだ。そして幾ら言っても尽きることはない、無限に。
不快になることはごく稀にあるが、ほとんどの場合は使う時に正しく発言することで自分も相手も快になる最強の言葉である。
世の中には3000から5000もの言語が存在すると言われている(方言も含む)。ありがとうと言う言葉はほとんどの言語に存在する。
これほど世界中で流通するこの言葉をもっと使うべきである。
わたしもまだまだ使いこなしていないこなすごく大切な言葉ではあります。もっとたくさんありかを言うようにしようと思います。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうござます。これからもよろしくお願いします。