やってもらう、してもらう
こんばんは、snpです。
日頃から何かをやってもらったりしてもらったりしています。視野を広げて見てみると生活に欠かせないこともの、全てやってもらっていると言えそうです。
ほとんどもらってる
電気を供給してもらっている、野菜を育てて売ってもらっている、皿を作ってもらっている、車を作ってもらっている、道路を…、とほとんど。
自分一人では使うモノ、受けるサービスなどは賄えないのは事実。分担されているのがこの世の中。自然界的からももらうことしかしていないと言える。太陽の光をもらっている、雨水をもらっている、土から、木から…。ありとあらゆるモノをもらって生活が成り立っている。
もらってばかり
何か出しているのか?うーむ、特にこれと言ったものを世の中に還元していないとも言える。自分の中ではあれもやってる、これもやってると勝手に思い上がっているだけのような気がしている。
基本的に自分ひとり 対 その他大勢(世界中の人たち、過去の人類、動物植物、自然的なすべて)なので、自分のもらう分が多くなって当たり前。
そう、当たり前なんだ、と無意識に考えているから還元していないと思い込む思考に陥いるのではないか。
当たり前じゃない
してもらう、やってもらうことは、当たり前じゃないと考えるようにした。
すると何が起きたか。
感謝せざるを得ない状況が続くような感じがしている。わたしの為に作ってくれて、ありがとう、わたしの為に運んできてくれて、ありがとう。
自分よがりじゃないか!いや、そんなことはない、してくれたことに感謝していて、何が悪い。むしろ感謝しないのもどうかと思う。
わたしがあげるもの
自分がその他大勢にしてあげられること。何があるか?極々少数の人には微力ながら何をしてあげることは可能で、感謝を受けることもたまにある。
その他大勢に対してしてあげることは、自分がそこに存在してあげていること。
ぐらいじゃないのかと考えるようになってきた。そこにいる意味、この時にいる意味を思考する時間が増えたと近頃は感じる。
自分くらい自分がこの時この場所に存在していることを認めても良いし、自分が存在してあげているぐらいの認識でもいいのかなと思っている。
存在に感謝する、感謝される。
お互い(対人、対物)に感謝し合う状態の輪が自分中心に広がっていくことが豊かさなのかと心の奥でフツフツと微々たるが起こって来ていると分かってきた。
この数ヶ月くらい(厳密には一年未満)で、心の持ちようが少なからず変化しています。しかも割と楽になっている感覚があります。
もらってばかりの日々、自分が存在してあげることくらいしか還元できませんが、そのことに気づいただけ収穫。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。