レッテル貼りの高望み
こんばんは、snpです。
生きていく上で、自分はこんな具合の人間だ、この程度のレベルの人間だって勝手に決めつけている様な気がする最近です。
今回は、自分に貼ったレッテルと相反的に沸き起こる高望みに対して思う事を。
自分で決めつけてませんか?
自分のポジションを勝手に自分自身でわたしはこの程度だし…、的に思い込み、完結させている様に思える。完結させたらもう考える必要性も生まれないから楽だ。
自分自身に貼ったレッテルによって縛られている(縛っている)にもかかわらず、何かと高望みをする。もっと金が欲しい、給料欲しい、いいとこ住みたい、毎日美味しいもの食べたい、理想的な人材と出会いたい…。
自分でわたしはこうなのよ、って言ってるのだから現実的にはこうなるように自分自身で仕向けているのだ(結構無意識的に)。
貼り直しは何度でも効く
何だかんだ言っても、自分自身で貼ったレッテル的な得体の知れない自己暗示に似た何か。
そんなの何の意味があるのか、わからない。自分でああなりたい、なるにはまずこうする的に分かっていながらできていない。
わたしの職場には派遣社員が多くいる。彼らは口々によく言う、派遣じゃなかったらいい生活できるのになあ。と。
じゃあ派遣辞めればよくね。今派遣。辞めれば派遣じゃなくなる=いい生活。単純なことを分かっているけど行動することができていない。
わたしは庶民、豊かになりたい
庶民が庶民の生活を送っていても豊かにはなれない。太ってる人が太ってる人の生活を変えなければ痩せることはない。
庶民が豊かになるには、豊かな生活をまずやる事だと、最近気付いた。気付くの遅くね?って思われるだろうが、酒を飲んでいたら一生かかっても今世では気づけなかったと思う。
豊かな経験はすぐに真似できることではないが、書籍によって追体験は可能である。
わたしは庶民と思っている限り、死ぬまで庶民であり続けようとするはず。わたしは豊かだと思っている限り、豊かであり続けようとする。
豊かか豊かでないを決めるのは本人次第である。自分が自分に対してわたしは豊かだと宣言し徐々に周囲にわたしは豊かなのだと広げいくことは大切だと思っている。
他人に対してレッテルを貼る愚かな後輩がいます。その時、瞬時にこの後輩のことを可哀想な人だ。と思いました。それでしか現実を自分の脳内に投影できないのですから。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。