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日常にある事柄から思考するブログ

七夕の願い事を書くヤツ

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おはようございます、snpです。

 

 明日は七夕です、みささん短冊に願い事を書きましたか?なぜ願い事を書くのでしょうか?

 

  1. 中国の行事「乞巧奠」にて織姫にあやかって裁縫の上達を祈願した。
  2. 日本に伝わり、和歌や習字などの芸事の上達を祈願して願い事を短冊に書いた。
  3. 何でも願い事を書いても良いという風潮になった。

 

上記は某サイトからの引用であるが、3番目の何でも願い事を書いても良いと言う内容にスポットを当てて、今回は短冊に書くものについて。

 

幼少期は書いていてた

幼稚園児や保育園児、小学校低学年くらいまでは七夕の飾り付けを年間行事として行ったりして、短冊に「~が欲しい」「~になりたい」などと言った願い事を書いたりしたと思う。大人になるにしたがって駅前やショッピングセンターなどのイベント的な環境でしか書かなくなる。笹を用意して年間行事とやる人は少ないと思う。

子供より大人の方が物事の本質を多く知っているので、多くの短冊に自分の願いを書けばいいのだが、殆どは書かない。貪欲さが積極性を押し殺している。

 

願い事ってw

駅前などに掲げられている笹の短冊を今年は見てみることにした、大半はの短冊には「幸せになりたい」「お金持ちになりたい」「彼女ができますように」「合格できますように」だと言った類が多いなと感じた。

その短冊に願い事を書いた人がどの様な境遇の中に生きている人かは定かではないが、駅前に来てそろそろ七夕だから、ポジティブな願いを書くと言う思考回路の人が「幸せになりたい」って書くかよって思う、こいつどんだけ幸せじゃないんだろうか。

 

真逆的に考えてみると

「幸せになりたい」と書いた人はその書いた瞬間は幸せではないと言う心の奥底の域にある本心が願いとして短冊に現れたのだろう。「お金持ちになりたい」も同様にその人はその瞬間は金持ちではない=貧乏人と自分で勝手の枠で囲い込んでいるから短冊に書いてしまったのでは。

健康な人は、健康になりたいと書かない。

不健康な人は健康になりたいと書くかもしれない。すなわちわたしは健康ではありませんって公の前で宣言しているようなもので、自分自身も「わたしは健康じゃないんだ...」って無意識的に勝手に思い込んでいるフシがきっとある。

 

現実生活でほとんど何不自由なく暮らせている人がなぜ「幸せになりたい」、「お金持ちになりたい」って書くのだろうか?嘘は書いては書いてはいけない。

書くとするならば「すべての人の願いが叶いますよいに」ぐらいのこと書くべきだと考えている。もう願いと言うより祈りに近いw

 

わたしはよく散歩がてら神社へいきます。
登山では山自体が御神体で山頂に奥宮があり祠が良くあります。スピリチュアル的な見解もあると思いますが率直に神社へ行くとなんか気分が良くなるからです。

 

最後まで読んで頂きましてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。