普通とは何か
こんばんは、snpです。
日常の生活の中で、これは普通だとか、これは当然だとか言っている人がいます。普通はその人の中にあるもので普通はその他大勢には通用しないと思った方がいいのでは?と最近感じるようになって来ました。
さて、今回はその普通について、少し思考してみようと思います。
私にとって普通なのよ
身近な人はこの言葉を良く口にするのだが、「私にとって」と前置きがある時点でそれは普通とか全体を俯瞰してみようとしていないので普通の定義に反していると思う。
あなたの中の普通は、全ての人にとって必ずしも適用されるべきことではなく、周囲の環境に対応できる能力の欠如の表れを暗に示していると捉えてなやない。
あなたの普通は何?
はっきり言って、普通という言葉にはかなりのパワーを秘めていると感じる。あいつの考えは普通じゃないとかまともじゃない、と言った時点でその人の生きた痕跡を真っ向から否定しているように感じる。
ある意味人格を否定している言葉になり兼ねないので、わたしはそうそう使用はしない。逆に自分の生きた痕跡を完全に否定されたらどれだけ虚しいことだろうか。
では、普通とは?
今の段階では、普通とは?の確固たる正解は存在しない。普通なのよと言っている本人にとっては正解は導かれているだろうが、その本人以外の何者にもその正解は分からないし、大概は理解不能だと思う。
本人の普通を他人に押し付けるような生き方だけはしたくない。要するに、自分以外の何者も尊重して、敬意を払って生きたいと考えている。
他人の行為に対して、わたしならこうするのになぜそんなことするの?と思うことがありますが、結局他人のことなので自分の機嫌が良くなるように考えるようにしています。
— snp (@snp_21) 2018年7月18日
過去のツイートにも表れるように、自分の中でも解答が出ないようだ。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。