朝の喫煙所の前を通って
こんばんは、snpです。
毎朝、会社の喫煙所の前を通って(というかその外通路を歩く)職場に向かっています。
今までは特に気にも留めていなかったのですが、最近はやたらとあの喫煙者たち大丈夫かよ?って思うようになってきました。
どうも、断酒の日数が経つにつれて、彼らが身体に良くない物質を好き好んで体内に取り入れている様、そしてそれが依存性があり辞めれない様がアルコールに酷似しているように見えるからかもしれません。
今回はそんな、喫煙所の前を通る度に感じることを思考しようと思います。
健康被害に金払う
一箱440円から470円くらいか。それを1日一箱吸う人は多くいると思う。1本あたり22円。高いか安いかはわからない、その人次第だからだ。
しかし、タバコのパッケージのデザインの半分ものスペースをタバコに対する健康被害のメッセージが書かれていることは明白であり、実際にタバコを吸うことにより病になるリスクは非常に高くなる。それにわっせわっせと金を払う。これはアルコールも同じ。
朝の喫煙所のオーラ
個人的主観だが、あのオーラはかなり負である。タバコの煙を肺に送り込まないと、脳細胞に充填させないと1日の仕事が始まらないとなると、それはもう病気なのではないかと思う。
あの虚ろな目つき、あのうな垂れて腰掛けている姿。廃人にしか見えない。あそこだけどうも世紀末の一部を垣間見ているかのようだ。
依存は気づいた時は遅い
あるグループが禁煙するって言い始めて、そのメンバー5人くらい全員禁煙していた時期があった。結局ひとりも現在まで禁煙を続けている者はいない。
ひとりが吸い始めと、じゃオレも的な連鎖が起こり、あっという間に全員また喫煙者に戻ってしまった。依存者だ。
タバコが辞められないなら、酒はやめられないと思う。どちらもやらないことが一番良いのだと気づくのはやはり他人からでは無く、自分の心の奥底から滲み出すようにならぬば、やめるのは不可能だと思う。
そもそも喫煙所に集まることしかできないって言うのもおかしなことだなと思います。コミュニケーションが不足していると昨今言われている中で、タバコを吸わない人にとっては全く関係のない喫煙所でしかコミュニケーションをとることのできないコミュニケーションは違うと思います。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうござます。これからもよろしくお願いします。