人任せは責任の放棄
こんばんは、snpです。
連休中の方も多くいると思います、平成最後の夏を思いっきり楽しみたいものです。
さて、今回は自分の決定権あるのに人任せにして後からそれは違うと言う人に関して思うことを。
自分に与えられた使命
この世に生を授かり、命を使うことを使命と読む。その場その場で人生には自分の目の前に挑戦的に登場する選択肢の連続で動いていることも分かる。
自分の人生の使命は自分で決定しているのだ。
しかし、その決定を人任せ、他人に投げてしまう人も大勢いる。自分の人生なのだから自分の好きにすればいいのだ。
人目を気にし過ぎる傾向
他人にどう思われようが、自分が良しと思っているならいいじゃないか。
そこまで他人はあなたのことなど気にしていないし、むしろ他人は自分のことを気にしているのだから。
もっと自分の好きなこと、自分で選んだ使命に自信を持っても問題はない。
その使命は必ず報いのある結果につながっていると信じていれば、問題はない。
自分の人生を放棄するな
人のせいにする、あいつのせいだ、お前がそんなこと言うから選んだのだ!など人のせいにしたところで、実際に事象が発生したのは自分自身なのだから、どう考えても自分の選択と決定がトリガーになっているのを理解していない人の発言である。
自分の人生をどのように送るかは、自分で選択することはいくらでも可能だ。貧乏になりたければいくらでも貧乏になればいい。豊かになりたければいくらでも豊かになればいい。モテたいならいくらでもモテればいい。
そんなのは自分の選択である。
人のせいにするのは、自分の人生の決定を他人に差し出して、自分の人生の決定を放棄していることである。
選びたい放題かを知らないのか
選択肢は無限に存在し、その中から勝手に枠を決めて、勝手にリミットを付けて、勝手にランク付けをして…。そんなに縛られていたいのだろうか。もっと自由に選択肢使えばいいのである。周りを気にする必要は微塵もなく自分がいいと感じるものことをすれば、それは豊かな人生を歩んでいるのではないだろうか。
人に任せるのはかなり楽な選択ではあります。しかしそれは反面、責任を放棄して自分の決定権を捨てているようなものです。
もっと自由に生きたい、縛られた世の中は嫌だと言う人に限って時間がないから忙しいからと言う理由で、自分から選択肢を狭くしているように感じます。
もっと自由でいいのに。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。