このままじゃいけない、オーナーになれ

日常にある事柄から思考するブログ

新しい人に出会う

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こんばんは、snpです。

 

諸事情で仕事以外の色々な方とお会いする機会がありました。多分一期一会のレベルの方(お店の人、商売をしている方など)ではありますが、出会うことには変わりありません。

そこまで、今回は人が人と出会うこと(恋愛もそうだが…)について感じたことを。

 

会うべくして会う

生活していることにおいて、会うことは必然的になっているのではないのかと感じる。そこにその場に居合わせたないとお互い出会うことはないのだから。

必要だなと思っているなら、いずれ相手の方から現れる、そしてその相手は自分に今大切な情報知識を持っているのである。その相手からお互い豊かになるように情報の展開をすることがとても大事である。

 

お、こんなヤツ出てきた

店舗のスタッフなどと話をしていたら、代わりの詳しい人呼びますねってことがたまにある。

この人(最初の人)は、わたしに詳しい人と出会わせたいと考えているんだな、なんていいヤツなんだ。

そして出てきたヤツも、もちろんいいヤツに違いない。情報を提供してくれるいいヤツに。

敵対する意味が分からない、お互い気持ちよく終わればそれでよくないか?

 

一度きりの出会いでも

どうせ二度と会うことねーからテキトーでいいわって考えもできる。

二度と会うことないなんて、なぜ言い切れる?確率は低いが再度会うことはもちろんある。たとえ一度きりかもしれないが、出会ったこと自体かなり低い確率で出会っているならこそ、その機会を気持ち良く、心地良く過ごしたいと思う。

なぜ、高圧的攻撃的に接しようとし始めるのか、こうして出会った人は情報を心地良く出してくれているのに。仕事だから、そんなことあまり考えなくていいと思う。

結局、仕事は生きる為にやっていることなら、生きる為にやることを心地良くやった方がどう考えたとしても、気持ちがよい。

 

豊かさは、一方を陥れて自分だけ豊かになったとしても面白くない。豊かな生活はその人の周囲関わる人全てが豊かになっていくことが豊かさだと思う。

あいつは嫌いだからずっと貧乏のままでいいとか、あいつは根暗でキモいからずっと非モテのままだ、とか言っている時点でその発言者の心は豊かではない。

 

共存共栄の道が豊かさの骨頂ではないのかと考えています。自分だけが、自分さえ、などの自分の豊かさだけを追求すればするほど、豊かさからは遠のく現実が登場するのかなあと少し思います。

 

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。