本を読まない人
こんにちは、snpです。
読書をすることについて考えたいと思います。
本を読まない人はどうやって知識を得ているのでしょうか?
TVは最高の娯楽だ。受け身で知識を享受出来る、その反面CMや番組制作のスポンサー企業の商品を潜在的に視覚聴覚を介して脳内に埋め込まれる。
この様な内容の記事をよく見る。TVは無理で視聴することが出来るがある意味有料である。
購買意欲を掻き立たせる、それを感じさせない企業努力。素晴らしいアイテムだ。
文字、日本語は日本人なら小学校に上がる前から読むことができる。小学校では国語の授業がある。文字を読むことができれば視野は格段に広がることを幼い時に知っているのに、その知的興奮を社会に出た人の大半(わたしの職場はまさに)は持てない。
文学でも良い、新書でも良い、興味のある分野の活字を読むことにより知識が得られ、理解力、読む速度も上がる。そのことにより更にインプット力は相乗効果で上がる。
要は、読むか読まないかの違いである。
ある記事を読み愕然としたことがある。
読書はスポーツと同じで好きな人がやればいいと言うものだった。嫌なら読まなくていいとのこと。
スポーツと同じにするのか…。学生時代に時間と労力をかけて習得した読解力を発揮せずに受動的な行動のみに脳を任せる。
楽である。スポーツと同じなら受動的なスポーツもあっても良いのではないか。
TVでのスポーツ観戦が当てはまるか…。
文字を読むこと人と読まない人では、圧倒的に開きが出る。埋めようのない開きが出る。
工場の労働者の会話の中身は皆同じだ。
アウトプットの質低い。それはインプット出来ていないからだ。単純作業の繰り返しと家では単純な受け身の娯楽。休日は受け身の娯楽、自ら動く様なことはしない。
楽したいと思えば思うほど、この労働者は金がかかる。自分たちに与えられている娯楽費用は余りにも少ないためだ。
本を読めば、自分のポジションが分かる。
ある意味GPSのようだ、この世の中での自分の位置が分かる。文字を読むことを捨てた人々は自分の位置が不明でどこに位置するのすら考えない。
この為、わたしはよく読書をします。趣味です。趣味なので本を読むことが苦でありません、なので常に脳に情報がダイレクトに伝わっている感じがします。
今日はこのくらいに。
よろしく。