吉兆トオモエ
こんばんは、snpです。
最近は、不調続きで。
仕事も凡ミスやらかすし、プライベートでも家事なども面倒くさいなと感じるし、趣味も思うようにスケジュールに組み込めないし、買い物も欲しい品物はないし。
こういう時こそ、いい事の前触れだと考えるようにしています。
今回は、運がいいと考えるを思考したいと思います。
人間の脳なんて単純なものでして
よくある方法として、嫌なこと、悪いこと、ついてないことが起きた時は、なんて自分は運がいいのだ!と思え。ある。
人間の脳なんて結局は、あること柄にだけ集中的に焦点を合わせ物事を見る様に作られているみたいで、悪いことは悪いこととしか理解しようとしないようだ。
そこで、無理矢理、運がいい!と思い込むことが脳が勝手に想像して運がいいことを見つけ始めるのである。
オートリサーチモード的なニュアンスがあると思う。
過去にこのような記事を書いたことがある。
オート取捨選択モードw
どのようなことに対しても
小説では、伏線が回収されて、おおーそれとこれはここで繋がっているのかよ!とか布石を敷いておいて、マジで!的な展開はよくあることです。
たぶん人生においても、この事柄も将来のある吉兆な出来事に対しての伏線&布石なんじゃないのかと思い込む方が健全じゃないだろうか。
嫌なことも、将来の吉兆の伏線。きっと回収出来るはず。
物事の捉え方が変わる
結果が全てだと言う人は多くいるが、その通りだと思う。人の前に登場するのは結果だけだからだ。
その結果が良いとなるには、その前の捉え方次第だと考える。
全ていい結果になる為に、この事象は自分の目の前に起こっているのだと考えてはどうだろうか?
吉兆。良い言葉ですね。
わたしはこのような縁起の良い言葉や事柄が好きです。見ているだけで、聞いているだけで、なんだか幸せな気分になるからです。
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。