このままじゃいけない、オーナーになれ

日常にある事柄から思考するブログ

自分の僅かな時間を与える

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こんばんは、snpです。

 

朝、出勤途中で目の前を救急車が大きな病院の方へ向かって猛烈な勢いで向かっていきました。大半の車両はもちろん道を譲る形をとります。わたしもそちら側だったら確実に道を譲ります。

今回は緊急車両で道を譲る行為について、思考したいと思います。

 

1秒でも早く

早く病院へ運ばれて欲しい。救急車の中にはどのような病状か怪我の具合かなど分からないけど、一刻も早く病院へ運ばれて欲しい、無事であって欲しいと願い、救急車に道を譲るのだと思う。

 

僅かながらも時間をギブした

ほんの僅かな時間だ、救急車が追い抜くまでの僅かな時間だ。それだけで助かるなら大した時間ではない。

中にはぶーぶー言うヤツもいるだろう、笑えばいい、そんなヤツ。そいつが救急車で運ばれた時どうなるのだろうか。

 

あるハリウッド映画の撮影で

某映画で一定の時間の高速道路の一区間を通行止めにして大規模な撮影をしたという話を聞いたことがある。そこでは大渋滞が発生したのだが、その場にいたドライバー達はみな口々に、そのハリウッド映画の作品の一部は自分の時間が少なからず使われている。だから渋滞で時間が取られても構わない。とコメントしていた。

とても印象深かったので、よく覚えている。

救急車の件とハリウッド映画とでは状況が全く違うのではあるが、似た匂いも感じることができる。

 

あなたのためにわたしの時間を

自分の時間を、命を使ってあなたのために何かをするということ。それは簡単ではない。

わたしのために誰かが命を使っている。それはもちろん親であり家族であり、仲間であり、救急車の搬送中に道を譲ってくれた赤の他人だったりと。

 

人のために、自分の人生を使える人は自分の命を誰かが分け与えてくれているのだと分かり始めるのだと思います。

 

 

最後まで読んで頂きまして、ありがとうござます。これからもよろしくお願いします。