ぼっちはお好き?
こんばんは、snpです。
職場、家庭、親戚、地域コミュニティなど人間関係は生きていく上で必ず形成される小団体です。今回はわたしの周りの目に関して思うことを。
職場の人間関係はいたって単純なものである。誰が好きか嫌いか、どの派閥かと言ったよくあるくだらないことの繰り返しである。
そして、ある2人以上のグループで行動をする者たちで溢れている。
わたしの職場での喫煙率は40%近いかなり煙たい職場である。わたしは嫌煙者なので喫煙所の存在すら忘れているほどである。
休憩の度に連れ立って喫煙所へ行くヤツらw
連れションかよw
朝、始業前から喫煙所で顔を合わせ、勤務中に顔突き合わせ、昼飯も共に摂り、休憩時間も顔を合わせて休憩し、勤務終了後もダラダラと喫煙所へ向かい…。お前ら、楽しいの?
この工場で働いている以上、勤務時間中は近くで勤務をするのだから休憩中ぐらいは自分の時間を有意義に過ごすことはしないのか。
わたしはもっぱらひとりでいることが多い。無駄な会話(中身のない毎度同じの話は聞き飽きた)は懲り懲りだし、勤務時間外で意識レベルの低いと自分が思っている人のコミュニティに参加すると自分も低い方へ簡単に引っ張らてしまう恐れがあるからである。
意識レベルが低い、という語弊がものすごいある語彙と言うかお前何様のつもりですか?って言う発言をしているが、まあ実際のところ意識レベルが低いと言うか民度の低さにいらだちさえも感じる人間なのである。
わたしの解釈による一方的な見解なので、正しいも間違っているも無い。
わたしはぼっちでも良いと考える。
この工場で、気の合う人はいないのだ。
むしろ、気ムヅカシイ話ができないのであまり頭脳を回転させる話は避けたいのではないのかと推測できる。
変革できる、今までの自分(酒飲み時代)ではない自分が現実に現れていることを俯瞰して見ようとするもう1人の自分がいる。
そこにいるのは今までの自分では無い自分だ。つまり自らの意思で変革を求めて行動をしたことによる結果が現実に投影されている。
違う運命(飲み続ける運命)もあっただろう、非生産性の超クソつまんない会話をし、休日は二日酔いスタートのゴミクソな1日。コンビニ通いの金ばら撒き生活。時間はむしり取られて。
やったことはただ一つ、“酒をやめた” ことだけだ。何も加えていない、引いただけ。
ぼっちでも楽しいです。なぜ群れる必要があるのでしょうか、承認欲求が高いのでしょうか。
群れをなすなら家族を形成することに全力を尽くす、ただそれだけの様に感じます。
今回も最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。